霊的物質主義

スピリチュアル
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通常の物質主義とは、金銭や贅沢品、良い衣食住などの物質的な対価を求めて勉学に励んだり懸命に働いたりする事である。
一方で、霊的物質主義とは、自己実現や自身の成長、救済、解脱、といった精神的な対価を求めて、貪欲に修行を行う事だ。

最近の日本のスピリチュアルは、霊的物質主義というよりも霊的な装いのある通常の物質主義の場合が多い気がするのでそれ以前の問題かもしれないが、敬虔な黙想家や熱心な修行僧、一部の新興宗教といった真面目な求道者になってくると、この霊的物質主義に陥っている事が多いようだ。

勿論、霊的にせよ霊的でないにせよ先立つ物は必要なのであって、こうした考え方に立脚する方法論を用いる事が間違っているとは言えない。だが、内面を重視していても、意味や価値を深める事はそっちのけで、自分の我を押し通す事だけが目標となってしまったのでは、結局のところ意地の悪い金持ちと同じになってしまう。というより、単に途中で行き詰まる事になるのではないか。

ここで考慮しなければならないのは、芸術的側面と倫理的側面となるようだ。どういう風に行動すれば、成長出来るのか、発達出来るのか、ではなく、どういう風に行動するのが、美しいか、正しいか、で自分の身の振り方を判断するのである。何だか道楽のようだが、実際このような姿勢が、霊的物質主義を追求する場合でさえ、重要となってくるのだ。

というのも、以下の記事で議論したように、霊的な対価にしろ物的な対価にしろ、知っている人にとっては手にする事自体は何の問題も無く上手くいくからだ。残る問題は、数ある人生の選択肢の中から何を選ぶか、という点だけである。付け加える事があるとすれば、やはり以下に引用しているとおり、皇帝の物は皇帝に神の物は神に(極端に簡略化すれば、物的な利益を求める場合は政治系団体、霊的な利益を求める場合は宗教系団体に)という点だろうか。

イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚嘆した。

新約聖書(聖書協会共同訳)

言ってみれば、どうすれば上手くいくかなどという話は自明の事であって、そんな話をしているようでは時代遅れなのである。上手くいく方法論は身に付けている事が前提で、どのように道を極めるかが、人生というマラソンを走り通せるかどうかの分かれ目だという事になる。

何の脈絡も無いが、最後に「毘流七支坐法」と呼ばれる、瞑想をするのに最適だと言われている座り方について紹介する。

①「矢のように」背筋をまっすぐ伸ばす
②「蓮華座」に足を組む
③肩の力を抜き、「ハゲワシのように」高く、引きぎみにする
④あごは「鉄のフックのように」心もち引く
⑤目は閉じる。あるいは、虚空を見つめる
⑥舌は口蓋につける
⑦口をわずかに開き、歯は噛みしめない

サーチ!p.74

やはりビジュアルってのは大事なので、こういった伝統的な座り方を身に付けていれば、様になる。

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