神は山々を造り
アモス書4.13
風を創造され
その計画を人に告げ
暗闇を変えて曙とし
地の高き所を踏みつけられる方。
その名は万軍の神である主。
意識論について書いたので世界論についても一応復習した方が良いような気がしてきた。だが、こちらは意識論ほどはっきりと定式化されていない部分があって、私自身の理解も更に浅いのでざっと流れを概観する程度になる。
大雑把な流れとしては、まず巨視宇宙論から始まり、次に存在論、認識論、そして最後が微視宇宙論という形になる。宇宙論に始まり宇宙論に終わるわけだが、前者が一般性を持っているのに対し後者は個人レベルで成立する。
最初の巨視宇宙論では、学問として普及しているいずれかの哲学的立場を採用する事になる。入門書ではプラトンから始まる西洋哲学の系譜の共通点を雑多に抽出する事が多いが、カントでもニーチェでもソクラテスでも良い。
次の存在論では、インテグラル理論ではアーサー・ケストラーのホロン説を採用している。これは心霊的な波動論の進化系だが、世界哲学としては既存の学説をモノの定義とプロセスの定義に切り分けて再定義する価値がある。
次の認識論では、インテグラル理論の要である四象限の考え方に内側と外側を定義して八視座の見方を提唱する。ただ、この内外の区別方法はどちらかと言えば自分にとって既知か未知かという意味合いを持つ点が重要である。
最後の微視宇宙論では、自分自身や他の誰かに合ったオーダーメイドの哲学を作り上げる過程になる。自分にとって最も腑に落ちる学説、例えば私なら実用主義や神秘主義などを存在論と認識論でパズルのように組み立て直す。
自然哲学に関して言えば、研究結果の哲学がそのまま自然に成立する可能性はあるが、基本的には自分の哲学は信念と同義であるので、得られた結果に従って政治的な介入を行って自力本願で現実を変容させる事が基本となる。
インテグラル理論を意識論と世界論に分けて考えるのは入門書に倣う形を取った結果だが、今後の課題や実践面についても触れる必要があったかもしれない。とはいえ、まずは理論の骨組みを掴んで初めて先に進む事が出来る。