奮い立て、奮い立て/立ち上がれ、エルサレムよ。/あなたは主の手からその憤りの杯を飲み/よろめかす大杯を飲み干した。
イザヤ書51.17ー23
彼女が産んだすべての子の中に/誰も彼女を導く者はなく/彼女が育てたすべての子の中に/誰も彼女の手を取る者はない。
二つのことがあなたを襲った。/誰があなたのために嘆くだろうか。/破壊と破滅、飢饉と剣。/誰があなたを慰めるだろうか。
どの街角にも、あなたの子らが気を失って/横たわっている。/網にかかったかもしかのように。/主の憤りとあなたの神の叱責に打たれて。
それゆえ、さあ、このことを聞け。/苦しむ者よ、ぶどう酒も飲まずに酔っている者よ。
あなたの主なる神/ご自分の民を弁護してくださる神はこう言われる。/「見よ/私は、よろめかす杯をあなたの手から取り上げた。/私の憤りの大杯をあなたが再び飲むことはない。
私はこれを、あなたを悩ます者の手に置く。/彼らはあなたに言った。/『ひれ伏せ、我々は踏みつけて行く』と。/あなたは自分の背中を地面のように/踏みつけて行く者の道のようにした。」
久々に物理学について考えて、自分の発想が少し進化している事に気付いたので改めてホロンについて検証してみた。インテグラル理論によると、ホロンの力学には大別して4つの方向性がある。即ち、エイジェンシー・コミュニオン・エロス・タナトスである。
私が以前ホロンについて考えた時には軸を1つ増やして3次元になったが、今回の考察でもやはり軸が1つ増えそうで、具体的には対象が理科学か文科学かの差について区別を設ける事になった。呼び名についてはまたややこしい事になりそうで使い回しになる。
ホロンではエイジェンシーとコミュニオンがトランスレーション(変換)でエロスとタナトスがトランスフォーメーション(変容)になっているが、トランスフォーマティブなエイジェンシーとコミュニオンやトランスレーティブなエロスとタナトスの例はある。
変換は、具体的にはホロンの「深度」が一定で「幅」が移行する事を指し、変容は逆に、「幅」が一定で「深度」が増減する事を指す。極端な例で言えば、仏道修行に打ち込む坊主はエイジェンシーを目指しているが、明らかに変換ではなく変容を目指している。
根本的には、理科学と文科学の差がトランスフォーメーションとトランスレーションの差であると明確に定義出来るだろう。どちらが優れているとは言わないが、何処まで行っても稼いでくるのは理系であり、文系はやりくりを任されるという構図は変わらない。
という事で、3つの軸が存在する事とその概略が明らかになったわけだが、この枠組みを物理学の存在論に対応させて考えていく事にする。最も単純な分類としては、まずは物質かエネルギーか、或いは明白か暗黒か、という点で4つの区分に分かれる事になる。
私の考えでは、物質がエイジェンシー、エネルギーがコミュニオンに対応し、明白な方向性がエロス、暗黒な方向性がタナトスになる。変換か変容かについては前者が決定論で後者が非決定論という事になるが、文理の差の物理学的表現になるので曖昧さは残る。
根拠としては、物質は「独立」の状態であり、エネルギーは「従属」の状態であるからで、何となくイメージは湧くと思う。明白さの度合いは科学的俎上に上げられる事が尺度となる。用語の定義について突っ込むとややこしくなるのでこれ以上は掘り下げない。
さて、結論は出たがこれだけでは何の事やら分からないかもしれない。今回の理論的基礎付けは応用範囲が広く、聖典の用途別分類や顕教と密教の区別の仕方、或いは正統でない経歴の分析などに用いる事が出来る。興味がある人は自分で考えてみてもらいたい。