歴史は宗教的に繰り返す〜異邦人基督教徒の真の役割〜

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カルデア人たちは王の前で答えた。
「王様の言われることを示せる人は地上にはおりません。いかなる大王も権力者もこのようなことを魔術師、祈祷師、カルデア人に求めたことはありませんでした。王様のお求めになることは難しく、人間と住まいを共にしない神々のほかに、それを王様の前で示せる人はいません。」

ダニエル書2.10ー11

基督教徒の概念では、基督教を信じる者は皆が選民であり基督教徒を信じない者が異邦人という扱いになっていると考えて大体は問題ないだろうが、猶太教との擦り合せの観点から、信仰以外の血統や実践的習熟の観点から選民と異邦人を区別する場合があると思う。

一般的には、基督教徒の目線からは、選民が主役であって異邦人は脇役であり、選民が光であって異邦人は影であると考えられていると思う。これは、聖書の物語に生きる基督教徒こそが歴史の主人公であるという考えで、西洋科学の普及率に鑑みて大体合っている。

一方で、基督教は基督の再臨がまだ達成出来ていない点で建前上は完成していない。現実には再臨を待ち望む現体制の歴史の反復こそが集大成だと言えるのであるが、建前上は再臨を目指さないわけにはいかず、完全な統治下で選民として基督が再臨するのは難しい。

選民の立場として、現在の神学の集大成を完璧に実践し続ける他に選択肢は無く、本当の意味で新たな希望が選民自身の手のみで生み出される可能性は無い。選民基督教徒としては、異邦人の中から良い物を選り分けて吸収し、悪い物を押し付けて排泄するしかない。

歴史のより良い反復を達成し最終的には基督の再臨という究極の解に辿り着く過程において、良くも悪くも異邦人の肩にその責任が重くのしかかる事になる。形式上は物語を生きるのは選民で苦汁を嘗めさせられる事もあるが、神が邪悪の果実を収穫なさる事は無い。

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