ウツの地に住む娘エドムよ、楽しみ喜ぶがよい。
哀歌4.21ー22
あなたにもいずれ杯が巡って来る。
あなたは酔いしれて裸をさらす。
娘シオンよ、あなたへの罰はもう終わった。
主はあなたを再び捕囚とすることはない。
娘エドムよ、主があなたの過ちを罰せられ
あなたの罪を暴かれる。
正気を失った数々の政治家の暴挙により日本が滅びの道を歩みつつある事は誰しも実感している事だろう。表面的な問題は増税や人口減少や雇用の適材適所などにあるのかもしれないが、敢えて根本的な教育に目を向ける事にするとどのような解決策が考えられるだろうか。
日本のエリート的に海外の優秀な人材に何をどう頑張っても質も量も勝てないと実感し打ちのめされる事が多いらしく、確かにそれはその通りかもしれないが数が少ないから統計的に負けていると考えるのは短絡的すぎるので教育制度について吟味する必要があるのだろう。
私の狭い個人的な経験では、日本などの東洋と海外の特に西洋先進国では学力の到達方法が異なるように感じている。どちらも私の考え方であるこなした分量に応じて基礎能力も学力も上がるとする見解からは若干ずれているが、海外の方が才能を伸ばす意志が感じられる。
新型コロナの件で分かったように、これまであらゆる揉め事において聖域とされていた科学技術の分野でも汚い政治介入が行われるようになって、ありのままの議論を封じ込めるような風潮が流行するようになった。かつてなら戦争も科学者の対話によって解決されていた。
現在進んでいる恐ろしい改革の一つとしてグローバリズムによる教育評価制度の一元化の兆候が見られる。この改革によると教育は国際語である英語によって行われるべきであり、学力の評価は段階的な積み重ねによって行われるべきであり、日本は外されるかもしれない。
凡人の我々は最小限の努力で全教科まんべんなく満点を取り続けるのは難しく日本の教育制度では生き残れないので、取捨選択を行う必要がある。具体的には、リテラシーの基礎となる「情報」と国際的なコミュニケーションツールである「英語」以外は捨てるべきである。
想像を絶する(WAISで満点が余裕で取れるくらいの)論理的思考力と(誕生時から現在に至るまでの全ての出来事を覚えているくらいの)記憶能力を持っているのでない限りは、凡人に分類される事になるのでバカ正直に全教科優等を目指すのは挫折する可能性が高い。
日本は才能を摘み取りにくる傾向があるのでどちらにしろ全教科満点なんか取り続けていたら出る杭は打たれる事になるんだが、そもそも日本の教育成果が無効になる可能性があるので、海外で学び直す事を前提として情報と英語だけ押さえておくのが得策と言えるだろう。