羊の中の羊

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ここでは、インテグラル理論を「日本」という文脈で実践していく場合に阻害要因となりがちな「空気」「世間」という二つの現象を採り上げ、その具体的なメカニズムや文化的背景などについて考えていくことにします。
「空気」とは、ここで簡単に言えば、「あの場の空気ではこう言うしかなかった……」といった形でよく使われる言葉であり、「世間」は「世間様がゆるさない」とか「世間体が悪い」といった形で使われるものだと、さしあたり定義できます。
また、しばしば「日本」の文化的現象について取り上げられる場合、「日本特殊論」という図式に短絡して、比較の対象となる諸外国に比して「劣っている」か「優れている」かという、不毛な論理に帰着してしまいがちです。しかし、人間には、普遍性と特殊性という側面があります。たとえば、人間は現にあるような人体や筋肉の構造を持っていますが、だからといってどの民族も相撲をとるとは限りませんし、盆踊りをするとは限りません。ただし、「スポーツ」や「祭儀」という形で、世界各国に共通の人間の普遍的構造に根差したありかたを探ることはできるでしょう。「日本特殊論」を回避するためには、常にこうした普遍性と特殊性という視座を欠かしてはならないのです。
さらに、「空気」と「世間」という二つの現象に着目するのは、それが第二次世界大戦以前・以降という時代を通して、私たちの生活を無自覚に規定しがちな集合領域のありかたであり、それにもかかわらず、否定されがちな要因であるからです。私たちは、「ある」ことを「ある」こととし、「ない」ことを「ない」ことと捉えたときに初めて、「ある」ことを「ない」ことにしたり、「ない」ことを「ある」ことにしたりといった呪縛から解き放たれることができます。これは口で言うのはやさしいのですが、困難なことです。そして、少なくともその困難さを自覚しておくことによって、初めて当該の事象から適切な距離をおいたり、対処する方法を探ったりすることができるのではないでしょうか。

インテグラル理論入門Ⅱp.196,197

「空気」の機序は、「ある特定の対象への臨在感的把握とそれによる感情移入であり、さらにそれを絶対化する事によってその対象に支配される事。」らしい。
「世間」の原理は、①贈与・互酬の関係、②長幼の序、③共通の時間意識、④呪術性、⑤排他性、らしい。

「空気」と「世間」はそれぞれ、同じ「社会」的現象の間主観的側面と間客観的側面として考える事が出来るらしい。更に、これらの概念は相互協調的自己観に立脚していると考える事が出来るらしい。

「空気」だけを分析的に考えようとするととても不思議で掴みどころが無いが、「世間」の内面であると考えるとはっきりくっきりとその姿が浮かび上がってくる。

要は、「世間」の原理の①から⑤のうちのいくつかあるいは全部に対して、何らかの負い目がある時に、その「世間」から追放される事を無意識的に避けようとして、「空気」を読んで自分の意志を封殺するという事が起こるんだろう。

ここで「世間」の原理として示されているものは、日本に限らない世界標準的な共同体への連帯感や帰属意識といったものと、どこが同じでどこが違うのかなんてところも気になる部分ではある。

入門書では、「空気」や「世間」はインテグラル理論の普及に対する障害として紹介されているが、その辺は私にはよく分からなかった。相互独立的自己観が基礎となる欧米ではそもそも統合しようという動機自体が自然には生まれて来ないんじゃないか。

「空気」だろうと「世間」だろうと他の何かだろうと、周囲との協調性を重んじなければならない日本のような国でこそ、周囲との摩擦と行き違いを出来るだけ減らす為に、インテグラル理論のような総合理論が求められるだろう。

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