彼らは頭に塵をかぶり、泣き悲しんで、こう叫び続けた。
ヨハネの黙示録18.19
「災いだ、災いだ、大いなる都。
海に船を持つ者が皆
この都で、高価な物を取り引きし
富を築いたのに
一瞬のうちに荒れ果ててしまうとは。」
以前の記事で、ヒンドゥー教を西洋宗教に組み入れるとしたら一番下の序列になるだろうという事を書いた。即ち、ユダヤ教を頂点にしてキリスト教、イスラム教、に続く形となる。そもそもこの前提に疑問を持つ者も少なくないかもしれないが。
現実問題としては、宗教は専ら心の問題であるので序列がどうでも特に何の影響も無いんだが、東洋宗教の纏め役を買って出る展開も自然な成り行きの一つであって、日本で普及している神道・仏教・儒教に中国の道教を加えて統合する形になる。
確かに気分的には、序列が一番上か一番下かでは何となく嬉しくなったり悲しくなったりしそうではある。特に東洋宗教が統合される場合は日本だと下火の道教を考慮するだけで分かりやすいので聖地的な扱いになっている可能性は否定できない。
中国本土で三大宗教である仏教・儒教・道教に何か足して四極で纏める方向性も宗教的には殆ど到達しているが、彼の国は共産主義無双で徹底的に宗教を弾圧する方針なので、無関心な日本と敵対的な中国のどちらも甲乙つけがたいところである。
私自身はその斜め上を行く事になり、日本で西洋宗教の聖地を作れば良いんじゃないかと考えている。現在日本で普及しているのは基督教くらいだが、それに回教と猶太教と印度教を呼び込んだ上で神道で総合するようなイメージを持ってはいる。
一応はエルサレムの表面的研究は終わったので、日本に西洋宗教総合の聖地を作る下準備は半分終わっている。ただ、印度教を調べる余裕は無かったので、何処かの勢力が印度教を体して台頭してこない限りは、現状を変更する意義は無さそうだ。
厳密には、東洋宗教の統合を買って出る場合は一番上というよりは象徴的役割を果たす事が求められるようになるので、名実共に頂点に立つには神道ではなくシク教やシヴァ教やバラモン教などの一部の宗派を一番上に置き掛け持ちする事になる。
最も簡単に考えれば、印度教を統合の象徴としてバラモン教を頂点に仏教、儒教、道教が続く形になるんだろう。儒教と道教の順番は逆でもありうるかもしれない。日本としては、どちらの聖地を目指すにせよヒンドゥー教を誘致する必要がある。