士師たちが世を治めていた頃、国で飢饉が起こったので、ある男がユダのベツレヘムからモアブの野に身を寄せようと出かけて行った。妻と二人の息子が一緒であった。
ルツ記1.1ー5
彼らはユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、男の名はエリメレク、妻の名はナオミ、二人の息子の名はマフロンとキルヨンと言った。彼らはモアブの野に着いて、そこに住んだ。
だがナオミの夫エリメレクは死に、ナオミは二人の息子と共に残された。
やがて息子たちはモアブの女をめとった。一人の名はオルパ、もう一人の名はルツと言った。彼らはそこに十年ほど暮らしていたが、
マフロンとキルヨンの二人も死んだ。こうしてナオミは二人の息子と夫に先立たれた。
神秘主義の世界を探求してきて良い加減何も無い事が分かりつつあるが、逆に科学の世界に何かある事が分かるようになった。全く非科学的な技術を追求してきた影響で、科学理論を相対的な立場で見る事が出来るようになった為である。
そこで改めて感じたのは、現実に適用可能な技術としての正しい理論を掲げられる場合でも主客が切り離されている事は、当たり前だが普通の事でなく寧ろ科学が事実上の標準技術理論になってしまって見過ごされているという点である。
即ち、自然科学を中心とする科学技術が客観的に成立しているように見えるのは、実用理論として科学しか普及していない為で、科学自身を映す鏡が普及していない為で、主客一体の因果関係を自己言及する能力を持っていない為である。
神秘的な能力を追求する上では、そのような体裁を持った理論を科学的に研究すれば良い事になる。どの分野を研究しても顕学に対応する内容が完全に証明不能な形で実装されるので、純科学的だと手がかりが無さ過ぎて逆に分からない。
例えば、戦争の行く末に秘密裡に介入したいと考える場合は軍事関連の研究をして学問として発表すれば良いわけで、SNSみたく拡散すればするほど実現見通しが高まるが、私自身は研究ではなく教育を受ける立場なので詳しくはない。
要するに、ただ単に勉強すればどんな能力でも実現可能のようで自分で考えるのもアリだが、既存の研究に既製品がある場合は学徒の立場の方が効率が良いので、MOOCなどでその辺の高付加価値割安単元を修めまくるのが幸便で良い。
神秘主義的な独自の能力に期待出来る部分があるとすれば、それは組み合わせの妙による相乗効果で本来の用途でない予期せざる結果を引き起こす、仙術のような東洋的技術であり、西洋科学を維持しつつ限界を超克する点が素晴らしい。
全く意味が分からないかもしれないが、私の主張が正しい事は実際に学習を積んでみれば分かる。学位がその辺の現実の仕組みへの理解度の一定の尺度になっている筈だが、日本の大学の学位が指標として有効かどうかはよく分からない。