悟りと幻影

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今回は悟りが主題である。この記事では、深層心理学の観点から考察する。

悟りとは何か?

精神世界に魅入られた人達

精神世界に足を踏み入れた人は、ほぼ例外なく悟りを目指して修行に邁進する。その方法は多種多様であり、ひたすら理論を追求する人もいれば、ひたすら実践を追求する人もいて、両極端の場合が多い。悟りはあらゆる修行の最終地点であり、到達出来るのは一握りの人間だけであるとされる。

意識の成長と発達

意識には、垂直方向の成長のベクトルと水平方向の発達のベクトルが存在する。成長が進めば進むほど、利己性が高まって意識を拡大させられるようになる。発達が進めば進むほど、利他性が高まって意識を縮小させられるようになる。

2種類の悟り

ディアクロニシティ(diachronicity)※造語

定義:心に思い浮かぶ事が現実で成り立つ法則と一致する状態。
アインシュタインが相対性力学を思考実験した時やラマヌジャンが数式を発見した時の感覚に近い。意識の成長によって鍛えられ、最高度に拡大した意識は全ての法則を直感出来る。

シンクロニシティ(synchironicity)

定義:心に思い浮かぶ事が現実に起こる出来事と一致する状態。
仏教でいう空を捉える事や永遠の哲学で一者との合一と呼ばれる感覚に近い。意識の発達によって鍛えられ、最深度に縮小した意識はあらゆる出来事を引き寄せられる。

悟りの落とし穴

妄想(暴走する超自我)

精神分析学では、人間の意識は自我と超自我からなり、欲求と制約のバランスを取る自我があり、社会的規範としての超自我がある、と言われている。
超自我は、世間や社会の集合的な常識感覚となるが、語られる事は少ない為、目に見えない鎖となって人を縛り付ける事になる。個性化を目指す過程では、支配的な超自我の挑戦を受ける事になる。
西洋の伝統では、自我とエス(イド)を共に解放する傾向にあるが、実りある成長を遂げる為には、自我は解放しエス(イド)は抑圧すべきである。
超自我による妄想の克服:三人称→二人称→一人称

幻覚(誘惑する個人的無意識)

分析心理学では、人間の無意識は個人的無意識と普遍的無意識からなり、浅い部分に個人的無意識があり、深い部分に普遍的無意識がある、と言われている。従って、修行を行って無意識を探求する過程では、必ず個人的無意識に触れる段階を通過する事になる。
個人的無意識には、自分自身の抑圧された衝動や欲求が蓄積しており、その人が望むビジョンを見せる事になる。この段階で得られる直感は役に立たず、意味を持たないが、非常に魅力的である。
修行者にとっては躓きの元であり、仏道修行では魔境と呼ばれたりもする。
東洋の伝統では、普遍的意識と普遍的無意識を共に解放する傾向にあるが、実りある発達を遂げる為には、普遍的無意識は解放し、普遍的意識は抑圧すべきである。
個人的無意識による幻覚の克服:一人称→二人称→三人称

まとめ

悟りを目指す上では、ひたすら自分勝手に行動するのでもなく、人の為に自分を犠牲にするのでもなく、バランス感覚が必要である。また、何でもかんでも解放して意識化するのでも抑圧して無意識化するのでもなく、取捨選択が必要である。

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