教育界の利権はコスパが良い

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私は心にこう語りかけた。「私は、かつてエルサレムにいた誰よりも偉大になり、多くの知恵を得た」と。私の心は多くの知恵と知識を見定めた。知恵を一心に知ろうとし、また無知と愚かさを知ろうとしたが、これもまた風を追うようなことだと悟った。

コヘレトの言葉1.16ー17

基本的には、利権は人間関係が基盤となるので、政治家や宗教家はコネクションの醸成に心を砕く。学校は勉強の為の場所だが、玄人の生徒は学業の重要性だけでなく社会性を身に着ける為のあらゆる手段が用意されている事を理解している。

以前にも書いたとおり、個人的には政治的な繋がりも宗教的な繋がりも全く信じていないので、科学教育の世界の利権が好ましいというよりは単に他に選択肢が無いだけなんだが、冷静に考えると全く役に立たないわけでもない気がしてきた。

私の母校の校訓に「自律・創造・対話」というのがあったんだが、この枠組みに準えて考えると宗教利権は「自律」に相当し政治利権は「創造」に相当し経済利権は「対話」に相当し、しかしやはり全体として全部科学になるのではないかと。

教育基本法第15条に宗教教育の必要性、第14条に政治教育の必要性が説かれている。第13条については表現が曖昧だが、私の考えでは経済教育の事だろうと邪推していて、同法の趣旨に沿った形で校訓を解釈する事が可能だと気付いた。

現実の学校生活の上では、良い成績は「自律」を達成する為に必要であり、その達成に必要な能力は高いIQや記憶力や論理操作力なので、宗教的であると考えられる。私自身の経験則としても、成績が悪いと可能な言動範囲が制約を受ける。

次に「創造」の(想像ではない)部分、これは恐らく学業ではなく課外活動の成績の反映だろうと考えている。早い話どちらも成績だが試される能力が異なっており自分の強みを活かせるが、相乗効果を発揮する為には政治手腕が必要である。

最後に「対話」の部分で、成績として定量化されない個人・集団レベルでの裁量が利くあそびがある為に、恐るべき陰謀が企まれる領域でもある。資力があれば有利なのは間違いないが、逆に資本家が管財人に過ぎないという悟りも得られる。

つまり何が言いたいのか。経済的コネクションも政治的コネクションも宗教的コネクションも科学教育を基盤として初めて技術的に成立しうるのであり、科学から離れたところに新境地を求めるのは無謀なので止めておいた方が良いという話。

誰もが宗教に所属するわけでも政治団体に所属するわけでもないが、誰もが科学教育は受ける。新境地を開拓する事を目指す団体であってもコミュニケーションの基盤となるのは学徒時代に培った経験であり、リンガ・フランカが必要である。

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