「結果より過程」≒「能力より権力」?

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このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ています。このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

ローマの信徒への手紙5.1ー2

高校時代の進路指導担当の人がよく口にしていた言葉として、結果より過程というものがあった。当時の私には全く意味が分からなかったし、今でも分かっていないかもしれないが、学問的には何らかの価値ある金言である事が有り得るかとかどうでもいい事を考えてしまった。

学閥統治の真実を突き詰めていくと、数学を例に挙げると「権力で問題を解く」場合と「能力で問題を解く」場合があるのではないかと感じるようになった。過程が良い人は「権力」で問題を解けてしまうようで、私は味わう機会があまり無かったのでとらえにくい話ではある。

以前に良い成績を積み重ねていないと解法を発想する余地が無くなると書いたが、どうもこの感覚は間違っていないようで、問題を解く上で鍵となる着想には思い付けないように圧力がかかっていて一般に考えられているような数学的センスといった能力の問題ではないようだ。

自然な発想としては、結果より過程は権力より能力だろうか。本質的な区別としては、既に学問的に解決した問題に関しては権力で、未解決問題に関しては能力という事になり、数学的センスがあると言われる人は過去の人達とは異なる思考回路を持っている事を意味している。

そういう意味では、過程をこなさずに結果だけ出してくるような人が貴重な人材になると考えるか異端児なので排除しなければならないと考えるか、両方の場合があるのかもしれない。中等教育までの問題は解決済みなので通常の思考回路で解く為には、良い過程が必要条件だ。

現実の場面ではそんなに単純な話ではないのかもしれないし、良い過程に良い成績が必須なのかとかの問題もあるが、この逆転現象は能力面でも起きていて、通常は論証の積み重ねが必要な問題で答えだけ分かるようなクソゲー的展開が、持てる者の観察によって見出されうる。

とはいえ、結局のところ学問的に表面上解決しているかどうかだけの話であるので、才能があるとかないとかは長期的に見ればどうでもいい話だし、全部どんなペルソナ(キャラクター)を受け持つかだけの問題になってくるだろう。結局、オンラインゲームのような話だった。

↓【おすだけで めざめるあなたの ユダヤパワー】(笑)
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