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クオドラント
 西洋に絶大な影響を与えたソクラテス/プラトンの哲学は、「真」「善」「美」の探求を重視しました。それは「知」の向かうべき方向性を指し示し、「ただ生きるのではなく、善く生きること」(プラトン『クリトン』)へと私たちを誘う哲学でした。
 ケン・ウィルバーは、この「真」「善」「美」を「ビッグ・スリー」(The Big Three)と呼び、統合的な理解に必要な「知」の三領域と述べています。「真」は科学によって研究される客観的な事実の領域です。「善」は道徳や倫理として共有される間主観的な合意の領域です。「美」は芸術によって喚起される主観的な経験の領域です。
 このビッグ・スリーは、私たちが世界を「見る」ときのもっとも基本的な三領域といえます。私たちは客観的な事実に焦点を当てるか、間主観的な合意に焦点を当てるか、主観的な経験に焦点を当てることで、世界を「見る」のです。

レベル
①呪術的段階
人間は誕生時には自分で歩くことも、食べることも、排泄することも、また、危険から身を守ることもできません。「空腹」や「孤独」や「寒さ」や「暑さ」などのさまざまな生理的な不快に曝されても、自分の意志で状況を解決することができず、ただただ不安や恐怖に慄くだけです。[以下略]
②利己的段階
呪術的段階においては、人間は世界に存在するさまざまな要因に対して基本的に無力ですが、精神的・肉体的な発達が進むなかで、徐々に自らの生理的な衝動を意識的に統御して、目的を達成するために活用する能力を確立させます。呪術的段階において、人間は、自身の内部に生起する生理的な感覚や衝動に受動的にひきずりまわされていましたが、次の段階では、そうした生理的な衝動を充足するために、積極的に行動することができるようになるのです。つまり、俊敏さや力強さなどの自らの身体的な特徴を生かして、世界に積極的に働きかけることができるようになるのです。[以下略]
③神話的段階
利己的段階に基づく世界観とは、個人の肉体的・精神的な能力の優劣がものをいう「弱肉強食」の世界であるといえます。そうした世界に生活することは、ほとんどの人にとって試練の連続となります。また、たとえ他者を圧倒するほどの卓越した能力をもつ人でも、必ず挫折や衰えを経験することになります。「弱者」と「強者」もともに、老・病・死を逃れることはできないのです。[以下略]
[以下略]

インテグラル理論入門Ⅰp.21,22,47,49,52

さて、クオドラントだが、現実の物事を解決しようとする時に、学問的に見て正しいかどうかという視点だけでは、上手くいかない事がある。即ち、いつでも(間)客観的領域「真」の立場で対応する事が効果的とは言えない場合がある。

プラトン的な「真」「善」「美」の視点を拡張する上で、ウィルバーは内面/外面と単数/複数で認識の仕方を分別する事で、四象限という考え方を編み出した。具体的には、「真」の領域が単数と複数で更に分かれた形になる。

今回は、少し違った視点から四象限を定義してみたいと考えている。主流の唯物論的哲学では、物に付随する形で心が生まれており、独立した形で心は存在しないという事になっている。

現在の「真」の定義は、主に自然科学の統計的な観点から判定されるものだが、例えば宗教などの人文科学や政治などの社会科学がテーマになった時に、何が正しいのか判定する方法は必ずしも明確ではない。

そこで、集合的に正しいと認められる事象を「真」であると定義し、個人的に(非集合的に)正しいと認められる事象を「偽」であると定義すれば良いのではないかと考えた。ただ単に間客観的に事実である事だけでなく、間主観的に事実だと考えられている事も「真」である考える事にした。

そのように考えると、「善」と「美」の定義も分かりやすくなる。今までは内面の集合的領域が「善」で、個人的領域が「美」であると考えられていたわけだが、外面的な行動の領域が「善」であり、内面的な認知の領域が「美」であると、再定義出来る。

例えば、遊覧船に乗っていて目の前で誰かが海に転落して溺れてしまったとする。その時、溺れてしまった人を見て助けたいと感じるか、鮫に食べられてバラバラになったら面白いと感じるかの違いが、「美」の領域になり、

海に飛び込んで助けに入るか、自分の血を少しだけ海に垂らして嗅覚の敏感な鮫を招き寄せるかの違いが、「善」の領域となる。極端な例ではあるが、状況や立場によって、認知面と行動面で食い違う反応をする事は、健常人でも頻繁に起こっているだろう。

従って、「真」「善」が間客観的領域、「真」「美」が間主観的領域、「偽」「善」が客観的領域、「偽」「美」が主観的領域である。内面/外面と単数/複数で切り分ける点は同じだが、この方がより哲学畑と整合性が取れるのではないか。

そして、レベルだが、現実世界を生きていく上で重要となってくるのが、意識の発達段階の内、最初の、呪術的段階、利己的段階、神話的段階、である。入門書ではこの後も定義されているが、現実の場面で活用する機会は殆ど無い。

明記されてはいないが、発達段階の理論を現実に適用していく上で重要な事が一つある。それは、意識の発達をホロン階層的に考える事であり、具体的には発達段階の低い順に方法論を試していく事である。

例えば、あなたが神話的段階に到達しているとして、相手が呪術的段階や利己的段階であった場合に、神話的段階の方法論を適用するのが効果的ではないのは分かると思うが、実は相手が神話的段階であっても、効果的な方法とは言えない。

それ以前の問題として、対話する相手がどの段階に居るかを事前に判別するのは困難な事が多く、初めて会った人になると全く検討もつかないのが普通だ。もっと言えば、低級な方法論で解決出来る場合に高級な方法論を用いる事は技術の漏洩に繋がる。

理想的には、それぞれの発達段階における人にとって、自分の到達した発達段階に応じた視点が見つかるように自分の行動を工夫するのが良いんだが、自覚的にその状態を保つ為には、統合的段階と呼ばれる未知の段階まで進んでいる必要があるようだ。

スピリチュアル・精神世界には呪術的段階の発達で躓いたまま先に進んでしまった人が再教育の為に、方向付けされてやってくる事が多いというか、多分例外は無いと思っているが、あくまで発達心理学から見た場合の解釈ではある。

発達心理学の観点から見ても、発達の果てに呪術的段階で夢想されるような魔法を実現出来る到達段階があるのではないか、と考える事はおかしな話ではない。私自身も、そのような段階があると信じているが、現実の幸福感とは関係が無いとも考えている。

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