祈りの効用

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今回は祈りとその効用が主題である。何らかの信仰を持っている人は、神仏に祈る習慣を持っている事が多い。この記事では、学問的な立場から見た祈りについて考察する。

祈りとは何か?

人はなぜ祈るのか?

人間は、この世界の創造主である神などを、畏敬の念を持って崇拝する。祈りは神に少しでも近付きたいとするやむにやまれぬ想いの表現であり、或いは何らかの現世御利益を願うものであったりする。

祈りの学問的な定義

心理学的には、祈りとは、「自分の無意識に語りかける事によって、無意識と意識のバランスを整え、幸福感を高める行為である」と定義出来る。
人間の内面は大まかに分けて意識と無意識からなるが、意識の割合は僅か数%で殆どの部分を無意識が占めると言われている。
意識と無意識の目指す方向に食い違いがあると、望んでいない結果ばかりを引き寄せてしまう。
眠っている無意識の力を活用する事で、自分のパフォーマンス向上を目指す行為が祈りなのである。

信仰か実践か

祈りは宗教的行為であると見られる事が多い。信じるだけで救われるとする宗派もあれば、行動を伴わなければ意味が無いと考える宗派もある

祈りの方法

あなたの祈りは効果的か?

祈りの方法は千差万別だが、効果的な祈りを行う為には、無意識にとってインパクトの大きい方法を用いるのが良い。
習慣的な礼拝では声に出して祈りを捧げる事も多く分かりやすいが、大抵の場合は沈黙のうちに神と向かい合う事になる。その時に、ただ漫然と精神を落ち着けるだけで終わっていないだろうか

積極的に自分の気持ちを形にする

無言で祈る時には、
①音を出さずに声に出す聴覚的方法
②頭の中で文言をイメージする視覚的方法
のいずれかか、両方を用いると良い。

①の方法は割と意識せずに行っている事も多いが、②の方法は教えられないと中々気付きにくい。人間は聴覚よりも視覚の方が発達しているので、②の方が効果的である。
具体的なメッセージを欠く祈りは、ボディランゲージだけ示して何も言葉を発しない人に似ている。神はどうか知らないが、少なくとも無意識はきちんと言葉にして思いを表現しなければ動いてはくれない

祈りがもたらす変容

祈りに限らず割と多くの修行に当てはまるんだが、何らかの御利益を期待して熱心に続けても、あまり結果が出ない事が多い。周囲を変えるのではなく自分を変える志向性を持たせると良い方向に進んでいく事が期待出来る。
どんな修行でも何らかの形が残る物の方が簡単で、目に見える変化を伴う行動を何もせずに何かを変えようとするのは徒労に終わる事が多い。形を伴う修行に習熟した後に、形を伴わない修行に挑戦するのが良い。

祈りと超感覚能力

無意識の定義

ここでは、無意識を「普段は意識する事を避けているが、意図的に注意を向ければ(訓練が必要)気付く事が可能な、認知・情動の意味連関」という意味で使っており、認知機能の作動水準とは関係が無い。
発達心理学では人間の意識の発達過程が明確に定義されているが、到達した発達段階までは意識可能で、それ以上の段階は実現はしているが意識不能(無意識)と区別すると分かりやすい。

無意識は全てを知っている

脳科学的に見ると、人間の大脳基底核という部分が直感を司っており、論理的に物事を判断出来るようになる前に、正しいか間違っているかを体の感覚として伝えてくれる
何かを選択する時になんとなく選んでしまう事もあるが、直感が冴えていれば常に自分の意識の望む方向に進む事が出来るだろう。

無意識からの返答?!

メッセージを伴った祈りを行っていると、たまに返事が返ってくる事がある。祈りの内容と関係が有る場合も無い場合もあるし、頻繁に起こるわけでもないが、大体は少し眠くて微妙に意識が朦朧としている時である。
意識開発が進んで無意識の力を自在に引き出せるようになれば、所謂霊能者という事になるのだろう。

まとめ

祈りは非常に簡単で、要領さえ覚えれば誰でも簡単に行う事が出来る。個人差はあるだろうし、自分の意識が期待する形ではない事もあるが、即効性のある形で結果が出る。ポイントはイメージとして言語化する事である。

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