果たして科学教は幻想か〜結局、科学と宗教のどちらがより根源的なのか。〜

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ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論を仕掛けた。イエスは、心の底から呻いて言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。よく言っておく。今の時代には、決してしるしは与えられない。」そして、彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。

マルコによる福音書8.11ー13

精神世界に馴染んでくると、科学は現実の出来事の言語を通した理解を活用するコミュニケーションの手段に過ぎず、非科学の中に自然操作も含めた権力が集中しているのではないかと、具体的には、非科学とは宗教ではないかと感じるようになった。

最近の精神世界の理論では、各々が神の分け御霊というか、神通力を含めたあらゆる能力を潜在的に保有しているが、意識的に操作する為には然るべき鍛錬が必要であるとの見方が多く、科学の知識の遍在が能力発現に制約を課していると私は感じる。

科学を遍在させようとする勢力の猛追は恐ろしく、実践知としてお気に入りの子達を覚醒させようとして奇跡を起こしまくっても誰も何も感じないくらいで、最早驚きを通り越して寒気がするくらいだが、人文科学に僅かに穴がある程度なのでつらい。

私自身も、何も再現性のある変化を観測出来ずに思い込みの病状の内容が変化するくらいなので、やはり宗教は科学の一部なのではないかと感じる部分もあって歯がゆいが、サンタクロースのような役割だと割り切って、科学の範疇で続ける事にした。

↓【おすだけで めざめるあなたの エデンパワー】(笑)
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