災いはあなたに降りかかることはなく
詩編91.10ー13
病もあなたの天幕に近づくことはない。
主はその使いたちに命じて
あなたのすべての道を守られる。
彼らはあなたを両手で支え
足が石に当たらないようにする。
あなたは獅子とコブラを踏みつけ
若獅子と大蛇を踏みにじる。
自然科学を中心とする現代科学によると、科学のパラダイムの範疇には心の実体は存在しない。観察出来る言動に心のような曖昧な概念が介入する余地は無い。有効な技術パラダイムとして科学しか存在しないのであれば、内面と呼びうるものを人類は持たない。
人間同士の不和を回避する手段は選択の余地があるものとないものがある。どうしても譲れないと感じてしまうというか、特に生理的に受け付けないという場合は、主に幼少期の水準の学力形成に問題がある事がある。まともな大人なら簡単に復習出来る程度だ。
私は元々勉強がどちらかというと得意だったのでまだよく分からない部分もあるが、自然科学の範疇で狂ってしまう場合は義務教育レベルの算数で躓いている事が多く、特に病的な場合は乳幼児レベルで躓いている事が多く、学力と経歴の好循環に失敗している。
人の心に寄り添う事は大切な事で重要な事だとは考えるものの、どうも学力が不足していて情緒を言動に反映させる能力が欠損している人達が多いようで、放っておいたらこのまま人類が滅びかねない。仕方が無いので忖度は一時的に留保して介入する事にした。
仮に学力不足でなくて純粋な悪意で蛮行に勤しみ続けているのであれば、生きたまま内面を収集するのは諦めて標本化に切り替えるのが賢明だと考えられ、或いは科学的に封殺して無限学歴牢獄状態で様子を見るのが現実的な妥協案であると言えるかもしれない。
私は、仮に取るに足らない珍種であっても、新種である限りは取りこぼしがないようにしたいと考えているし、そもそも完全な同一種は存在しないので完全に収集価値が存在しない個体は存在しない。私見では、善悪の問題は持続可能性のご都合主義に過ぎない。