では、知恵はどこから来るのか。
ヨブ記28.20ー22
分別はどこにあるのか。
それは生ける者すべての目に隠され
空の鳥にも隠されている。
滅びの国も死も言う。
「私たちは耳でそれを伝え聞いたことがある。」
最近は無料開放されている特に乳幼児向けの教材について本来意図されていないリカレント教育の用途に用いる事で、所謂数学的センスや美的センスと呼ばれるような生まれつきの才能であると考えられている聖域にメスを入れる事が出来るという話をしていた。
もっと重要な問題としては、コミュ力の問題や人間性の問題についてもこの次元の教育課程をきちんと修了する事で克服しうるという事だった。激増している発達障害を中心とした遺伝的原因を持たない軽度の精神疾患であれば学び直しで完治させられるらしい。
高等教育を博士まで修めたのに精神病患者になったり犯罪者になったり、そこまで酷くなくともニートになってしまったりするのは基礎的な部分に問題があると考えざるを得ない。大体、嫌われていない人間であれば何の才能も無くても周りが食べさせてくれる。
乳幼児レベルの課題を修める事で得られる常識的感覚は当たり前の事ばかりなので、以前も書いたように社会勉強として身に付けるのは不可能に近い。その割には、全分野で完璧に身に付いている人もそんなに居ないので経歴に因らない人間力神話などもあった。
このようなブレークスルー的な方法論が極悪人に知られて実践されてしまうとどうなるのかという不安はある。人格形成の補助や補強はしてくれるが矯正が行われるわけではない為、仮に邪悪な人なら更に邪悪になってしまうだけで更生目的では使えないらしい。
リカレント教育に共通する問題だが、特に大人が乳幼児の土俵で仁義なき無双をすると寧ろ教育格差が極大化して期せざる由々しき事態となるので運営側に露見しないように密かに修めねばならない。信じがたい事ではあるが、完璧に修めれば人生薔薇色である。