サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。それでは、どうしてその国は立ち行けよう。私がベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのであれば、あなたがたの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたがたを裁く者となる。
マタイによる福音書12.26ー27
こう書いてしまうとまた顰蹙を買ってしまうかもしれないが、学問的には「不思議な力」を本気で信じているような人は発達過程の最初の段階である「呪術的段階」を上手くクリア出来ていない人を指すので遅れた人達という事になる。
本人達は進んでいると考えているかもしれないが、実際は遅れているのである。御伽噺のような小説の世界を展開するスピリチュアルの人達がターゲット層としているのは、未就学児の段階での情操教育で躓いてしまった人達と言える。
じゃあ何でお前はスピリチュアルをやっているんだと言われそうだが、別に自分だけが特別で進んでいると主張するつもりはなく、確かに私も遅れているらしい。遅れている点は同じだが、それに自分で気付いた点が他の人とは違うか。
更に最近気付いたのは、この呪術的段階を突破していないと霊感商法や詐欺に嵌まりやすい体質になってしまうのは確かだが、子供向けの教育課程が存在していてその内容を修めて優秀な成績を残せば、不思議な力が身に付く事である。
具体的には、無料の教育機関としてカーンアカデミー・キッズを発見した。不思議な力というのは科学的にはそう見えるというだけの話だが、力を使う側の段階は発達の最後の方の仙術的段階と呼ばれる側に属している人達が対応する。
つまり、発達の縦と横の段階があって、呪術的発達段階の課程で仙術的好成績を残せば科学的に名実共に超能力者として活躍する事が出来る。インテグラル理論では、似たような概念がウィルバー・コムズの格子として紹介されている。
言い換えれば、発達の段階は出来事の「なぜ」を説明する部分でスピリチュアルなら呪術的段階が対応していて成長の段階は「どのように」を実践する部分で不思議な力に映るレベルの人達は仙術的段階が対応する事になるわけである。
カーンアカデミー・キッズだけを推しているわけではないが、騙されたつもりで取り組んでみるとすれば無料なのが良いのと、米国の教育課程の方がガチなので安心感がある点が良い。難しい内容ではなくとても簡単な事が必要だった。
乳幼児でもクリア出来るような簡単な課題を、学び直しする必要があったわけである。私自身もまだ半信半疑だが、少なくとも防御力は身に付くので取り組む価値はある。とはいえ、既存のビジネスモデルを否定しているわけではない。