とどまれ、立ちすくめ。
イザヤ書29.9ー10
目を閉じよ、見えなくなれ。
酔っているが、ぶどう酒のせいではない。
よろめいているが、麦の酒のせいではない。
主はあなたがたに深い眠りの霊を注ぎ
あなたがたの目である預言者たちを閉ざし
あなたがたの頭である予見者たちを覆われた。
Web(インターネット)の発展を考察するにあたり、Web1はReadだけ、Web2はRead&Writeだけ、そしてWeb3になってくるとRead&Write&Ownとなった、という風な変遷を遂げたとよく言われるらしい。
Web2で誰にでもWriteが実現可能になったのは主にSNSの台頭と普及によるもので、Web3でOwnが実現可能になったのは中央集権型からブロックチェーンに基礎付けられた分散型のネットワークに変わった為と言われるらしい。
プラットフォームの発展と対応するようにキャリア形成の方法も変遷したと考える見方があって、Web1では経歴で、Web2では人脈で、Web3では実力が主に見られる事になるとの主張であり、変化に適応する事が求められる話だった。
ただ、Webの発展に準えるならば、Web3の特性がOwnだからと言ってRead&Writeが無くなったわけではなく、寧ろ熾烈になる可能性も否めない点が考慮されていない気がするのと、個人的には順番も異なる印象を持っている。
歴史的順序を考慮出来ていないのかもしれないが、私の僅かな経験則の上ではどちらかと言うと、Writeが試されるWeb2の方が実力が問題となり、Ownを持続可能に形成していくWeb3の方が人脈(人間力)が問題となる気がする。
つまり、Web1の時代では経歴だけあれば良かったのが、Web2の時代では経歴だけでなく実力も求められるようになり、Web3になると経歴と実力と人脈の全てが揃ってないと落とされるという恐るべき現実が待ち受けている事になる。
とはいえ、これは完全なプレイヤーキャラクターとなる為の条件であり、独立した個人として奔放に自律的な言動を行う必要性が無ければ、Web1は経歴、Web2は実力、Web3は人脈、と簡略化する事も理に適っているのかもしれない。
余談だが、私は政治的には超党派のスタンスを取っており情報収集には余念がなく、自民党メルマガ会員、公明新聞購読者、れいわフレンズ、社民党サポーター、参政党サポーター、幸福実現党ニュースファイル購読者、の肩書きを持っている。
だからどうというわけではないんだが、殆ど全くお金は掛からないし薄く広く網羅的に各党の生の現場報告を収集できるのは貴重であるし、基本的人権レベルの政治介入を必要に応じて期待できる点で、党員の一歩手前での掛け持ちが美味しい。
私のような社会的弱者となってくるとどうしても正規の教育や雇用にはついていけない部分があるので、政治的な手段で相互扶助の関係を構築する事は非常に重要となってくるわけで、健常者にとっても必要となる視点だと言えるのではないか。