私がまだとても小さかったころ、父が家族を高級な中華料理店に連れていって、とびきり上等な料理を頼んでくれた。食べているとき、ふと気がつくと、私はこの経験に注意をすべて傾けていた。料理がほんとうにおいしかったから、そして、高価な料理だったから、また、めったにない経験だと思っていたからだ。わが家では毎日食べ物にぜいたくをするなどということはなかった。そんなわけで、私は食事のあいだ中、深いマインドフルネスな状態にあった。やがて、はっと思い当たった。これほどマインドフルな状態でいるのは、なにも高価な食事をしているときだけでなくてもいいではないか。どの食事も珍しく高価であるふりをし、できるかぎりの注意を向けたらどうだろう?私はこれを「高級料理の瞑想」と呼んでいる。そして、あれ以来ほとんどの食事で実践している。
サーチ!p.96
サーチ!とJoyOnDemandによると、人間が自分の意志を保つ為の盾となる、三つの要素があるそうだ。①情動の盾、②認識の盾、③注意の盾、である。(※本文中では盾という表現はされておらず、順番も違うが)
EQの枠組みで言えば、自己統制と自己動機付けの双方に絡んでくる事になる。不快な経験をした時に自分を保っていられるかや、何かを実現する為のモチベーションを保って継続できるかは、同じ事の裏表ではないか。
最初に事件が起こるのは、情動面となる。何か悪い事が起こった時に、まず否定的な情動がトリガーされる。大抵のきっかけは心理的な内容で、どんな事に対してどんな情動を感じるかは大体は癖で決まっているので、改善の為には瞑想の意図のフェースだけを重点的に鍛える事が有効である。
次に、トリガーされた否定的な情動が認識面に上げられ、どのような意味付けが与えられるかが決まる事になる。納得できる文脈が見つかれば情動は萎んでいくか薄まるが、見つからなければ更に燃え上がる事になる。改善の為には、瞑想の態度のフェーズだけを重点的に鍛える事が有効である。
最後に、否定的な情動の暴走と鍛え上げた注意力による制御のせめぎあいが起こる。注意力の方が上回っていれば難なく抑えられるし、情動の方が上回っていれば暴発する事になる。元々、マインドフルネス瞑想で鍛え上げる目標はこの注意力の部分で、言ってみれば最後の砦を強化しているわけである。
現実的には、現世利益を追求する目的で自分の精神を強化する事が望ましいと言えるかどうかは分からない。人は何でも出来ないよりは出来る方が良いと考えてしまいがちだが、どんな分野にせよ、優れている事が幸福に繋がるとは言い切れない部分もある。