第一世界(First World)、第二世界(Second World)、第三世界(Third World)という言葉は、元々は西側諸国における3つの世界モデル(みっつのせかいモデル)における用語だった。第二次世界大戦後の冷戦の時代、2つの超大国であるアメリカ合衆国とソビエト連邦が世界の覇権を争った。アメリカ合衆国とその同盟国は「西側諸国」、ソビエト連邦とその同盟国は「東側諸国」とよばれ、それらが「第一世界」「第二世界」という概念の基礎となった。今日、第一世界と第三世界という言葉は、一般的に先進国と発展途上国を指す言葉として使われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E3%81%A4%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB
〈中略〉
シュスワプ族(英語版)の酋長ジョージ・マニュエル(英語版)は、3つの世界モデルは時代遅れだと考えていた。マニュエルは1974年の著書”The Fourth World: An Indian Reality”の中で、「第四世界」という言葉を提唱している。第四世界とは、伝統的な意味での国家を構成していない、先住民の「国家」、すなわち文化的実体や民族集団を指す[8]。中には、(伝統的な意味での)国境を超えて生活している民族もある(ファースト・ネーションを参照)。北米、中米、カリブ海のネイティブ・アメリカンがその一例である[8]。
日本ではかつて江戸時代に士農工商と呼ばれる身分制度があった。実質的には農民が一番下だったが、数が多いので反乱を起こさないようにと二番目の扱いになっていた。見たまんま、士は武士で農は農民で工はものづくりをする人で商は商人だった。印度ではヒンドゥー教中心のカーストと呼ばれる身分制度があり、今でもその名残がある。
一方で、国家単位でも身分制度とは言えないまでも区分があって、西側を中心とした民主主義国家の「第一世界」、東側を中心とした共産主義国家の「第二世界」だった。第三世界はどちらに属すか決めるほどの文化的土壌が無い国々の事だが、第四世界に関しては国ではなく、第一から第三までの世界の全てにはぐれ者として点在している。
士農工商やカーストでは4つの身分の他にえた・ひにんやアウトカーストと呼ばれる被差別階級があり、それに近い扱いになるが、前提となる区分の数が異なる事になる。当然の事ながら、第一が一番上で順に下って第四が一番下となる。政治思想のイデオロギーで分けるのもどうかとは思うが、科学的に一番民主制が優れている扱いになる。
日本は、少なくとも建前上は「第一世界」に所属しているので、「第一世界」同士の対話を中心に解決策を提示する事になるが、第二と第三も無視して良いわけではない。他の質的に異なる世界の国々で物量で劣っているどの国と組むかや、物量で上回っているどの国と話を合わせるか、質と量を区別して決めた方が円滑に物事を進められる。
とはいえ、基本的には自分より下位の世界の国々は使い走りと考えて差し支えないので、自分の主義主張と合致する組織に積極的に投資すれば、得られる見返りは大きい。私自身は、「第四世界」に堕ちたはぐれ人間で力も無いので、ひたすら周囲の国々と辻褄を合わせ続けて同じ世界の人達と協調して身を護る必要がある残念な立場である。