主よ、いつまでなのですか。
詩編79.5ー7
あなたは永遠にお怒りになるのでしょうか。
あなたの妬みは火のように燃え続くのでしょうか。
憤りを注いでください
あなたを知らない国々の上に
あなたの名を呼び求めない王国の上に。
彼らはヤコブを食い尽くし
その住まいを荒らしたからです。
全然ブログの読者が少ないので精神世界の話ばかり書いているが、きちんと言葉が届いている事が確認できれば今話題のWeb3から普遍的なITの知識から精神医学や臨床心理学の話に囲碁・将棋などのテーブルゲームの話まで、手広く扱う用意はある。
アクセス解析などを見ると閲覧者がいる事は確認できているわけだが、ログとして足跡を残さないようにしているのか指標がバラバラで混乱した状態になっている。読者が正当な方法で読了してくれれば、必要な教養が分析されて次の記事のテーマになる。
多分私のブログをこっそり読んでいる人が居るとすれば、私の個人的な教養のデモンストレーションも何らかの方法で取得している可能性はあるが、解説無しだと何をしているか分からずついてこれないと思うのでやはり普通に見た方が良いのではないか。
精神世界の教養を包括的に学べばそういった即物的な御利益やキャリアに直結する話題を扱わなくとも自己や人生に対する理解が深まって現実を受容できるのも確かではある。或いは、学んだ内容を発信する側になれば理解を深めつつビジネスにもできる。
新型コロナとその治療法にまつわる不祥事の全貌については喫緊の必要性を要する事態という事もあって特に誰も見ていなくても提供してきたが、一般的には例えば大学の講義に出席していても名簿にチェックを入れないと出席扱いにならないのと同じだ。
宗教の流儀としては言葉が届く相手にはパンやそれに類する利益を届けるのがエチケットで、一方で従う事も求められるわけだが、精神世界のやり方に則って自由に取捨選択しても良い形にしているので、バラマキ政権のような展開を行っている事になる。
現代では昔と違って知識の入れ替わりのサイクルがとても早くなっている。ITに関しても目まぐるしい面があり医学に関してもそうだが、覚えなければならない知識量が膨大になっているだけでなく、すぐに使えなくなるので常に学び続ける必要がある。
精神世界の教養は、例えばベストセラーの聖書がずっと同じ内容を維持されているように解釈が多少変わる事があってもその本質は不変であって他の精神的な分野でも同じ事が言えるだろう。それに結局、活躍の場を与えてくれるのはコミュニティである。