幸福とは『分かるけど知らない事』である。

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幸福という概念は成功と違って目に見えない曖昧なものだが、物質的に満ち足りているにも関わらず欠乏感を抱えて生きている富裕層や、不幸のどん底を経験した世捨て人などによって、主に追求されてきた。

金銭や地位など目に見える尺度を達成する事が幸福に結び付くと信じている人も多く居て、こういった人達は成功と幸福の区別がついていないと言えるが、確かに特に工夫をしなければ、成功と幸福の水準は一致する事が多いのかもしれない。

表題にもあるように、私の考える幸福とは、「分かるけど知らない事」である。どういう意味か。

まず、「分かる」の部分だが、例えば数学の問題があって、それを解く能力がある人が居るとする。この場合、その問題が解かれた世界がその人の世界観の中で既に何らかの形で実現している。

次に、「知らない」の部分だが、前の例で言えば、その数学の問題がある事を知らない場合に相当する。もしその人がその問題を解いて発表すれば、更に一歩進んだ新しい世界観が共有される。

端的に言えば、主体の世界観が平均の世界観に対してどの程度進んでいるかが、主体の幸福度を決める事になる。即ち、幸福とは絶対尺度ではなく相対尺度なのである。

因みに、ここで言う進んでいるとは、それ以前の世界観を全て包含しつつ、更に何かが付け加わっている事を指す。

今回例に挙げた数学の問題はいわば容器であり、背景となっている世界観は内容である。形を取らずに曖昧な意味に留まっている状態の質がその人の幸福の度合いを示す事になる。

従って、物質的に満ち足りているのに欠乏感を抱いているという事は、逆に「知っているけど分からない」状況を抱えている事になる。理解出来ない事柄が腑に落ちるまで自分の経験として吸収する努力をし続ければ、次第に幸福になっていく。

一方で、不幸のどん底を経験して世俗に興味が無くなってしまった場合でも、程度は低めだがやはり「知っているけど分からない」状況だと言える。この場合、既に知っていると思っている事を捨てる努力をすれば、次第に幸福感が増していく。

一般に、「分かる」という感覚は単に馴染みがある事を意味するので、繰り返し反復して身体に落とし込む事が重要となる。読経や写経などの修行と同じで、元手は要らない。

幸福の求道者の方には是非参考にしてもらいたい考え方である。

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