得意を伸ばすより苦手を縮める

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ブルーナー仮説
どの教科でも、知的性格をそのままにたもって、発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができるという仮説からはじめることにしよう。[以下略]

知的発達
子どもの知的発達に関する研究は、子どもは世界を観察し、それを自分自身に説明する場合に、その発達の各段階において、それぞれ特徴的な方法を持っているという事実を明かにしている。特定の年齢の子どもに、ある教科を教えるという仕事は、いわば、その子どもがものを観察する方法と結びつけて、その教科の構造を示すことなのである。それは翻案する仕事と考えてよい。いまのべた一般的仮説は、つぎにのべるような慎重な判断を前提にしている。すなわち、どのような観念でも、そのままで、また有効に学齢段階の子どもの思考形態のなかに示すことができるということ、しかもこのようにはじめにそれを示すならば、それはこの初期の学習によってそれだけ容易に、あとになってもっと強力に、また正確になるということである。[以下略]

学習行為
教科の学習は三つのほとんど同時的な過程を含んでいると思われる。その第一は新しい情報の獲得なのだが、その情報はかつて、ひとがそれとなく知っていたものか、それともはっきりと知っていたことと反対のものであったり、それと置きかえられたものであることがしばしばである。それがまえからもっていた知識を洗練するようなことはめったにないものである。[中略]学習の第二の面は変形とよばれていいものだが、それは知識を操作して新しい課題に適合させる過程である。われわれは、情報を整理するのに他の情報をそのなかに挿入したり、そのそとにつけ加えたり、または別の形に転換させたりする方法でするために、情報の「正体を暴露」したり、分析したりすることを学習するのである。変形はわれわれがその情報を越えてすすむためにそれを操作する諸方法を含んでいるのである。[以下略]

教育の過程p.42,43,61,62

認知機能の作動水準は、エピジェネティクスや脳の可塑性という事が声高に唱えられはじめた現在でも、概ね遺伝的な資質に依るところが大きい上に、資質に恵まれた者は教えなくても独習出来るので、寧ろ情操の教育に重点を置いた方が良い結果を生むと言って差し支えないだろう。

上記引用の最初に掲げられたブルーナー仮説は純粋に認知的な意味で学習が進むというふうに解釈する事も可能だが、スピリチュアル的には、現実に起こる出来事にどのような意味付けを与えるかについて、主体の発達段階に応じた内容を提示しうるというふうに解釈する事も出来る。

純粋に学習の結果に拘るのであれば、高い情報処理能力を手にすれば事務的に処理出来るようにはなるが、学習した内容の意味が理解出来ているかどうかは微妙な事が多い印象がある。英才教育によって刷り込まれた非実用的な信念が、主体を苦しめるだけの結果に終わる場合だろう。

個人的には、確かに認知機能が改善される事は特殊な条件下では起こり得る事であると感じているが、その条件は一般化が難しく殆どの者は似たような環境を設定しても逆に改悪される事になる。従って、主体に合った方法を見つける必要があるがこれがとても骨の折れる作業となる。

↓【おすだけで めざめるあなたの ユダヤパワー】(笑)
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