さて、人は妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は主によって男の子を得た」と言った。彼女はさらに弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。日がたって、カインは土地の実りを供え物として主のもとに持って来た。アベルもまた、羊の初子、その中でも肥えた羊を持って来た。主はアベルとその供え物に目を留められたが、カインとその供え物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに向かって言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしあなたが正しいことをしているのなら、顔を上げられるはずではないか。正しいことをしていないのなら、罪が戸口で待ち伏せている。罪はあなたを求めるが、あなたはそれを治めなければならない。」
創世記4.1ー7
御言葉によれば、神は農業系の供え物には関心が無く専ら畜産系が好きらしい。その事がきっかけとなって何とカインはアベルを殺してしまったくらいなので恐ろしい話だが、結局はどちらの系譜も続かなかった。
私が神の立場なら肥えた羊よりは土地の実りをプレゼントされる方が嬉しいし、消費しやすい面もあるが、御言葉に書いてあるのであればやはり畜産系には目を留めて農業系はスルーしなければならないのだろう。
レビ記には様々ないけにえの種類が載っていて、こちらも専ら畜産系で羊とか山羊とかが具体的に、内臓の扱いとか脂肪の扱いとか血抜きの必要性とかを交えて献げ方が説明されており、ごく一部には穀物もある。
日本の宗教での供え物は基本的に野菜や果実で家畜というか生肉を供えるのは聞いた事が無いし腐りやすいし、普通の人には難しいところもあるが、そもそも、食物を供える習慣自体が時代遅れなのかもしれない。