ギブアンドテイクの前提は、自分が与えられる「なにか」を持っている事

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イエスは女たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、私のために泣くな。自分と自分の子どもたちのために泣け。
人々が、『不妊の女、子を生んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来るからである。
その時、人々は山に向かって/『我々の上に崩れ落ちよ』と言い/丘には/『我々を覆え』と言い始める。
生木でさえこうされるなら、枯れ木は一体どうなることだろう。」

ルカによる福音書23.28ー31

世の中には、独立独歩で自分の力だけで生きていけると考えている人が多少は居て、能力的には特にずば抜けて秀でているわけではない事が多いが、その場合は結果的に持っているか持っていないかで判断される。

現在の教育制度は、学問的な到達度を努力の証として認めて、学歴に対応する専門性を持った人材として扱う配慮が為される。特に高等教育の学位は価値が高くかなり政治介入があるが、気付かない人も多く居る。

昔の私にもそういうところはあったが、能力があるから経歴なんかどうでもいいと考えていると、痛い目に遭う事になる。政治介入とまで主張するのは大袈裟だとしても教養として学問を活用する上で前提となる。

教育制度の枠組みである程度の到達度にならないと、能力があっても権限が無い扱いになるので、ただ単に芽が出ないか、ゴリ押しした場合は根回しで自分よりも更に能力の高い人達が出てきて潰される事になる。

何もせずにクレクレするのは良くないとはいえ、自分の達成した学業到達度に応じた権限を要求するのは、基本的人権と同じくらいには当然の権利であると考えられるところで、義務があると言えるくらいである。

↓【おすだけで めざめるあなたの ユダヤパワー】(笑)
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