神よ、もろもろの民が
詩編67.6
あなたにこぞって感謝を献げますように。
もろもろの民が、こぞって
あなたにこぞって感謝を献げますように。
人間の人生は自分の時間があまり無いようになっている気がする。生まれてきたらすぐに学校に入れられて20年間くらいかけて教育を受けなければならない。その後はすぐに次の世代を育てる為に家庭を持って働き続けてそのまま亡くなってしまう。
何の為に生きているのかという疑問は当然生まれてくるだろう。受ける教育の内容は紋切り型の標準仕様で現実の仕事とは関わりのない事ばかりで何の役にも立たない。暇な時間があっても特にやる事も無い人も多いのかもしれないが、蟻よりも酷い。
私は精神病患者という事で悪い意味で自由人になってしまって、それでも精神病とも自分なりに折り合いがついて楽しんで生きる事が出来るようになってきたんだが、世間の人達を見ているとつくづく気の毒な生き方をさせられていると感じてしまう。
国語・数学・理科・社会・英語のような普通の勉強が実はかなり重要な学閥統治の要素になっていたのではないかと気付いた今は自然界がどのように維持されているかだけでなく、老・病・死を克服する方法があるのではないかと考えるようになった。
学閥統治の観点からは、例えば自然界も人力で動いている事になるし歴史も存在せずあるのは現在だけという事になってしまう。荒唐無稽に聞こえるが長い長い教育の過程がその秩序を維持する事に一役買っているのだとしたら、共感出来なくもない。
人間が生まれて死んで終わってしまうか繰り返すように見えるのは、教育の機会が一度きりである事と深く関わっているのではないかと思い当たったのだった。言い換えれば、再教育を受ければ寿命も延ばせるし脳も身体も若返るのではないだろうか。
最近は老化を防いで若返る方法だとかが医学の水準で発見されつつあるが、科学の進化の本質的な問題はそういった枝葉末節ではなく、全世代型で全方位型のリカレント教育の普及と発展に密接に関わっているのではないかと考えられるようになった。
高等教育だけでなく全ての教育を繰り返すような制度を構築出来れば、今までのように次世代に望みを託すのではなく自分自身が更に成長して輝けるような世界に変わっていく可能性がある。次世代の育成を否定するわけではないが、効率は良くない。
科学理論の発展と二人三脚で教育制度を変えていくしかないので、現時点では少しでも長生きを目指すのであればリカレント教育を受ければ望みを繋ぎながら時間を稼げるのかもしれない。一旦理解出来てしまえば、これ程自然で当たり前の事も無い。