愛情に満ちたやさしさ、深い思いやり、利他的な喜び、そして平静さのそれぞれの近い敵の本性を見わけられるようになれば、あなたは出来の悪いホラー映画の主人公のようにはならない。その主人公は、心から愛する人に双子がいることを知らずに結婚する。実は結婚したのは殺人鬼の双子のほうで、映画のラスト近くで主人公がそのことに気づいたときには、すでに鍵のかかった部屋に閉じこめられて絶体絶命のピンチとなるけれど、床にはなぜか都合よく凶器が置かれている。あなたはそんな運命にならずに済む。
JoyOnDemandp.210
邪教は常に世界中に蔓延っていて、特にこうした危機的状況では影で暗躍して勢力を伸ばす。分かりやすい邪教もあるが、判別が難しい場合もあるのは、上記の引用からも分かるだろう。
この本によると、心的美質を身に付ければ申し開きが難しいような形で取り返しのつかない喪失を被る事を回避出来るようだ。命を落とすだけでなく名誉まで貶められるのはつらい話だ。
現実的には、人の目の全く手の届かないところで悪事を行うのは難しくなっているのでこの喩えが現代でも当てはまるかどうかは謎だが、やはり因果応報の考え方はここでも生きてくる。
自力救済という意味では、双子で顔や所作が似ていて気付かなかったという話であるので、細かい違いを見分けられる程の認知能力があれば、確かに罠にかけられる事は無かっただろう。
だが、その点は勿論社会も折り込み済みであって、きちんと主体の認知能力を見計らった上で、裏切る為の環境が整うまでひたすら地道な陰謀を巡らせ続ける形を取るのが一般的である。
こんな事を書いたらお叱りを受けそうだが、ある意味では、不幸に巻き込まれるような人達は、少数の例外を除いて世間の合意が得られていると考えて間違いないと言えるのではないか。
そこで重要なのが、時間切れになる前に周囲の悪意を見抜いて、対抗する為の心的美質・識別能力を身に付ける事であるが、最も質の悪い邪教は目に見えるものではないのかもしれない。
穿った見方ではあるが、言ってみれば空気のようなものであって、人間は皆、呼吸するのと同じように周りの環境に目を光らせ、悪意を行使するタイミングを狙っているのかもしれない。
人間一人ひとりの心の中の本質の一つとして邪教は巣食っていると表現する事も出来るが、喩え圧倒的な力で捻じ伏せられるのだとしても、名誉を失う事なく最期を迎えたいものである。