信仰の危機が破滅に直結する西洋の世界

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主はモーセに告げられた。「急いで下りなさい。あなたがエジプトの地から導き上った民は堕落してしまった。
彼らは早くも私の命じた道からそれて、子牛の鋳像を造り、これにひれ伏し、いけにえを献げ、『イスラエルよ、これがあなたの神だ。これがあなたをエジプトの地から導き上ったのだ』と言っている。」

出エジプト記32.7ー8

金の子牛の話は、民衆が血迷ったというよりはアロンが個人的に暴走した結果ではないかと私は考えているが、神罰を考慮しなくとも、信仰を忘れた西洋人のやる事は大抵、ろくでもない。

西洋と言ってもここでは具体的に基督教社会の事を指しているわけだが、確かに聖書を拠り所にしている間は道徳的な振る舞いをし、学問や業務に熱中し始めると我を忘れてしまうらしい。

聖書に並ぶ聖典としてはコーランがある。イスラム社会の中には裕福な国もあるが、戦争やテロが絶えない紛争地域も多いので、信者数(信仰心)の割にはあまり恵まれていないと感じる。

言い換えれば、信者数(信仰心)とは別に聖典ごとの力の大きさがあるのではないかと。私の感覚では、聖書の内容に親しめば親しむ程、あらゆる生活の質が好転していく実感を得ている。

聖書以外の聖典を読んだ事もあるし、体に馴染む内容のものも多かったが、聖書ほどの影響力は無かった。聖典の持つ力を決定付ける要素が果たして何処にあるのか、科学的に説明可能か。

分かりやすく書けば、私個人が含まれるかどうかは分からないが、聖典にはそれぞれ呪力を持ったスポンサーが付いていて、その規模で聖典の権威の多寡が決まる事は確かで、勧誘もある。

科学的な定量的表現をするならば、信者数の多さ✕信仰心の大きさが聖典の力を表す単純な公式だが、聖書流の区別では、信者数は魔力の多寡、信仰心は呪力の多寡で担保される事になる。

ただ、内容の問題もある。例えばコーランは確かに優れた書物だが、聖書と関係無く単独で使用した場合、現在の世界の繁栄を維持する程のポテンシャルを持っているとは言えないだろう。

コーランに不備があるわけではなく、原理的に反映させると聖書に基礎付けられた現在の世界とは違う異世界が浮かび上がってくる事になる問題があって、具体的な展望を示す事は難しい。

現在の世界に住み慣れた保守的なムスリム超富裕層にとっても、コーラン原理主義は歓迎されざる世界の大激変を伴うと考えている。手前味噌だが、やはり聖書有りきで考える必要がある。

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