巨視決定論VS微視非決定論〜必然と偶然の狭間で我々は現実に何処に居るのか〜

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しかし、今どうして私たちが死ななければならないのでしょうか。まさに、この大いなる火が、私たちを焼き尽くそうとしているのです。もしこれ以上、私たちの神、主の声を聞くならば、私たちは死んでしまいます。

申命記5.25

ご存知の方も多いかもしれないが、物理学は古典物理学と現代物理学に大別されて扱われており、両者の違いは量子論を含んでいるかどうかで、後者は量子理論を前提として古典理論を再編した内容となっている。

私の理解が間違っていないならば、古典物理学の範疇では初期条件の完全な情報と膨大な演算能力を兼ね備えた存在であれば、未来の完全な予測が出来る。言い換えれば、未来は予め決まっている事になっていた。

アインシュタインの神はサイコロを振らないとの言葉通り、直観には反するが宗教的解釈ではこの運命論を神が創造したグランドデザインと考えて予定調和が齎されるに違いないと楽観的に考える根拠ともなった。

我々が日常的に選択出来るような事柄の内、全てが予め決まっていると感じる事は少なくとも無いし、寧ろ、自由意志を持っていて自分の選択で物事を動かす事が出来るとの確信を持っている人の方が多いだろう。

特に力学に目を向けると、大きなスケールの世界を扱う決定論的な相対性理論と小さなスケールの世界を扱う非決定論的な量子力学が全く異なる世界観と方程式を提示しており、両者の統一は物理学者の夢である。

量子力学は比較的最近の学問であるので、誕生前に科学者がどういう風に現実と折り合いを付けていたのかは謎だが、少なくとも量子力学以降は人間の自由意志の論拠を非決定論で説明する事が可能とはなりえた。

個人的には、物理学を考える上で原理に近い考え方として、最も効率的(エフィシエント)な現象を選ぶという点がある。距離なら最短距離、エネルギーなら最上安定、組み合わせなら最小、といった具合である。

アナロジカルだが、現実には主体が効率を優先してその他の全てを犠牲にする事は無いので、自然の最適化理論としてそのまま適用出来る事例は少なく化学などの分野の擦り合せを行うだけで一種の理想論だった。

即ち、現実を説明する理論として原理的で単純な現象しか扱えず活用出来る場面が少なかったわけだが、最適化の方法が一意では無い事が分かったというのが非決定論の意味で、より柔軟になった意味合いになる。

つまり、一般的に議論されるような決定論・非決定論の差は現実の物事が予め決まっているかどうかを意味するのではなく、物事の「最適な選択肢」が予め決まっているかどうかを意味していると私は考えている。

厳密には、前述のように量子力学は微視的領域のみに相対性理論は巨視的領域のみに現実的に適用可能なので、依然として物事の大きな流れについては最適な歴史が決まっており、細部には何らかの自由度がある。

結論としては、物理学は最適な経路を提示してくれるが極端に追い詰められた状況でもない限り従う理由は無い。我々の直観は正しかったのであり、自分の自由意志であらゆる選択を責任を持って行う事が出来る。

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