「前」・「超」の混同〜人類の全員が平等な存在だと信じたい〜

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ギルボアの山々よ、いけにえに飢えた大地よ
お前たちの上には露も降りるな、雨も降るな。
そこには勇士らの盾とサウルの盾が
油も塗られずに打ち捨てられている。

サムエル記下1.21

インテグラル理論では当たり前だがあまり話題にならないセンシティブな話として、前段階と超段階の混同の問題がある。これはまぁ、霊的交流なら対象の「波動」が高いか低いかとか「霊格」が高いか低いかとか、そういった表現をされる。

私から言わせれば、前段階と超段階というよりは前段階と全段階の混同なんじゃないかと思うんだが、一般的には前者だと偽物で後者だと本物という事になり、一方で中間的な段階では科学が全てなので問題にすらならないのが常識ではある。

西洋のセクトや東洋の宗教家の中には目に見える奇跡を起こそうと躍起になってデモンストレーションを行う事を目指す人も居る。この辺の人達は科学のコミュニケーションツールとしての役割と科学的世界観の演出の重要性が分かってない。

政治の世界は宗教組織の規模の拡大と共に誕生したと言われているらしい。伝統的には、宗教と政治か組む事で科学と辻褄が合わない部分を誤魔化す役割を担っていたわけだが、前段階の者を上げるのと全段階の者を下げる両面の役割がある。

認識論的な意味でも割とシビアに科学的な制約があるので政治団体を活用しなければ正確な認識を維持する事は難しい。本物と言われる人達が能力を隠す事はあっても忘れる事など有り得ないと普通の人は考えるわけだが、案外そうでもない。

従って、政界を切り捨てて芸能界に乗り換える場合はこれまで彼等が担っていた科学的世界観への辻褄合わせをどのように芸能技術で実現するかが問題となってくる。私は政治技術も芸能技術もどのようなものか把握してないので分からない。

ただ、芸能技術を活用するなら寧ろ隠す方向で進めないのかもしれない。その場合は仕手筋の人達がボロを出さないように上手く下駄を履かせる事が重要になってくる。つまり、存在論的に誤魔化すのではなく認識論的に誤魔化せば良いのだ。

いつもながら安易な結論になっている気がするが、どう見ても種も仕掛けも無いのに「あぁ、手品なんでしょ。何か見た事あるわ」くらいの感覚に擦り替えられれば共存共栄の関係が築けるだろう。科学を完成させる事が神の意志に違いない。

↓【おすだけで めざめるあなたの エデンパワー】(笑)
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