コミュ力お化けになる方法を考えてみた

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イエスは、民衆の聞いている所でこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。
ところで、ある百人隊長に重んじられている僕が、病気で死にかけていた。
イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、僕を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
私たちの国民を愛して、会堂を建ててくれました。」
そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からあまり遠くない所まで来ると、百人隊長は友人たちを送って言わせた。「主よ、ご足労には及びません。私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。
それで、私のほうからお伺いすることもいたしませんでした。ただ、お言葉をください。そして、私の僕を癒やしてください。
私も権威の下に服している人間ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、僕に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
イエスはこれを聞いて驚き、付いて来た群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない。」
使いに行った人たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。

ルカによる福音書7.1ー10

暇な気分になってきたので科学以外にどのような要素が人生にあるかを再考していたんだが、あらゆる権力を2✕3の6種類に分類できるのではないかと思いついた。もちろん科学が重要である事は言うまでもないが、何もかもそれに還元してしまうのでは分かりにくいかもしれない。

何度も似たような事を発表したので全部読んできた人は混乱するかもしれないが、私の考えも学力向上に応じて日々変化しているという事なので、互換性に関しては約束できない。一応は変換する方法はあるはずだが、それぞれ独立した提案として見る方が余計な労力を割かずに済む。

「科学」が独立した分野として「政治」と「宗教」を認めている事は教育基本法を参照すれば分かるので全知・全能・遍在の3分類で良いかと考えたんだが、それぞれを認識論と存在論で分けて考えた方が実践的なので「社会」と「金融」と「報道」を加えて2層構造にする事にした。

即ち、存在論系全知の「科学」と存在論系全能の「宗教」と存在論系遍在の「政治」と認識論系全知の「報道」と認識論系全能の「金融」と認識論的遍在の「社会」となる。コンピューターとアナロジカルに考えると認識は入出力操作で存在は情報処理操作に擬える事ができるだろう。

或いは、認識論が建前で存在論が本音だと区別すると実社会でのコミュニケーションに応用できる。全知・全能・遍在という表現は大袈裟だが分かりやすいだろう。これらの表現は完璧に習熟すれば完全な答えに辿り着く事を意味しているだけなので、神学と関係があるわけではない。

物事を考える必要性が生じた時には、まずは「報道」から情報を入力する。得られる情報は間違っていたり特定の立場に偏っていたりするのでそのまま吸収するのでは問題がある。得られた情報を「科学」的に分析する事で真実を炙り出し、再び「報道」の文脈に置き換えて出力する。

もう一つ重要な問題となるのは、誰に対して対話を試みるかである。有効な成果を得る為には自分が話題にしている分野に対応する有識者にアプローチする必要がある。この世界は基本的に資本主義社会なので担当分野の資本家をハブりながら現実の実力者に訴えを行うと上手くいく。

最後に、これだけだとコンピューターと同じで自分の意見が全く上乗せされない事になるので、遍在的な解釈で情報が自分にとって持つ意味を咀嚼し自分にとって価値のある主張を形成する必要がある。以上、簡単だがコミュ力を鍛える為に必要となる前提について大体の結論となる。

↓【おすだけで めざめるあなたの エデンパワー】(笑)
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