私が父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。
マタイによる福音書26.53
私は、普通に生まれて、普通に育って、普通に生活しているので、実感を伴っているわけではないのだけれど、どうも目の前に広がっている当たり前の現実世界が、客観的な実在ではなく、個々の人間の意識の総体によって意図的に作り上げられたものではないかと感じるようになった。
生きていると理不尽なニュースが毎日のように飛び込んでくるし、有り得ない偶然の連続で命が助かったり死んだりする事例も、見た事がある。世界は危険に満ちていて迂闊に行動すれば簡単に全てを失ってしまうのだと、私は足が竦んでにっちもさっちもいかなくなってしまっていた。
とりとめのない妄想が出てきては消えてという事を繰り返している内に、現実が魔法界なのだとしたら、どのような統治方法が最も現実的なのかという事に思いを巡らせるようになった。山の奥に籠もっている修行僧や生まれつき特殊能力を与えられた超人だけが、特殊だと言えるのか。
私が辿り着いた結論としては、最近よく話題に上げている学歴、特に学位を中心に権限を整理される世界になっているのだとしたら、科学的に映っていてかつ物凄く安定した世界が実体のある幻として浮かび上がり続けるような事が、有り得るのではないかと、考えるようになったのだ。
具体的には、医学位保持者なら魔術的に人を生かしたり殺したり出来て、工学位保持者なら魔術的に物を造ったり壊したり出来る事になり、他の専門分野でも専門性に応じた魔術が出来るようになると考えて、そういう意味で理系の学位を持った人は大なり小なり神的な存在だと言える。
詳細な話をすると、大学前後で話を区切ると分かり易い。大学以前の指導要領は「死んだ」学問で共通の内容を持っているので、前提として存在するが学問として修める事で、学説から解放される。大学以後の「生きた」学問はそもそも存在しておらず、人力で運用されていると考える。
全ての課程を修了した学歴エリートが、学位に到達して対応する分野の密教を習得した後には、あらゆる学説からの束縛から開放されるだけでなく、対応する分野の魔術が身に付くので、実質的にはどんな荒唐無稽な理論を主張しても問題にならない上に、実現の可能性があると言える。
この与太話について読者の人々はどのように感じるだろうか。私個人は十分有り得る話だと思うし、そうあってくれたら世界は合理的だと納得出来る節もある一方で、人の命がかけがえのないものだとか物は大事にしなさいだとか、建前となる精神論が空虚に感じてしまうところもある。