「天の国は、畑に隠された宝に似ている。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をすっかり売り払い、その畑を買う。
マタイによる福音書13.44ー46
また、天の国は、良い真珠を探している商人に似ている。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
人によって大切にしている事が違うらしく、義務教育周辺の教養権限だけから演繹されるベースライン的な話題を扱っても全然受けない。教養を持った人達が優しいと言われる所以であると思うのだが、私から見れば単なる誤魔化しに映らなくもない。
確かに、教養というか学位を身に着けた上でベースラインの真実と異なった主張を通そうとすれば通せるが、実際に応用出来るのは同じレベルのエリートだけなので、庶民的には何となく納得されて騙されるだけで、何の役にも立たないのではないか。
ただ単に何も考えずにひたすら勉強しその結果が評価されるベースラインの真実は、私にとっては理解を超えているが、自分が到達した水準に自然と馴染んでしまうものだし、そういう風に感じざるを得ないだけかもしれず、単なる偽善かもしれない。
事前に高い学習評価を達成すれば見た目成功するかどうかはともかくとして、少なくとも自分の意志を通しやすくなると分かっていれば私も違っていたかもしれないが、結果志向で考えた時に本人の予断や下心を伴った努力が実を結ぶとは限らないか。