科学の「限界」とは〜政治と宗教の出番はあるか〜

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主の言葉が私に臨んだ。
「人の子よ、私はあなたの目に慕わしい者を、一撃のうちにあなたから取り去る。あなたは嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。
声を立てずに呻け。死者のために喪に服するな。頭飾りを巻き、足にサンダルを履け。口ひげを覆ってはならない。嘆きのパンを食べてはならない。」

エゼキエル書24.15ー17

不真面目で劣等生の割には今まで科学というか科学教育の重要性を強調しまくってきたわけだが、科学にも「限界」がある。というより、元々あまり意味が無いと私は考えているんだが、意味が無くとも現実に存在するのだから仕方がない。

成績評価を行って世代間の権力移行を機械論的に行う事で科学による統治を維持する為のからくりに過ぎないので、私はそう考えているので、本当に意味は無い。だが、現実の判断を行う上で選択肢の足切りラインとなるので非常に重要だ。

聞きたくない話だし驚くべき事かもしれないが、現実問題としていくら科学を勉強して優秀な経歴を積み上げても、相対的に立場が向上するだけで全体の取り分が増えるわけではない。それに、権能を手にしても最善を尽くすとは限らない。

要するに、科学は現実世界で行使可能な権能を再配分する為の道具立てに過ぎないという話だと私は考えている。教養系の五大科目はこんな事勉強して何の意味があるのかと考える人は大勢いると思うが、答えは「何の意味もない」である。

最近のコロナ禍で生き残りの足切りラインが上がったので私を含めた覚者(笑)は仕様変更に対応する為に学歴の水増しを続けている。現時点で十分なスピード感を持って対応できており、念の為に常任理事国のカリキュラムを使っている。

日本ではエリートが趣味でやっているくらいだが、政治と宗教を学問の範疇を超えて修める事は世の中をより良くする為には必須である。現在の科学統治機構では学歴が足りないと門前払いだが、足りても正しく善い選択を行うのは難しい。

科学による統治を体感するような人達は旧帝大出身の博士くらいかもしれないので前提が理解できないだろうか。学校の成績なんか何の意味も無かったと考えている人達が殆どだろうか。そりゃ、与えられた問題を解くよりは分かりにくい。

つまり、自分だけでなくみんなで生き残りたい場合は学歴ではない何かが必要となるだろうと書いている。それが何なのか具体的には考えた事がないので私にもよく分からないが、政治とか宗教とかその辺だろうとぼんやりと考えてはいる。

↓【おすだけで めざめるあなたの エデンパワー】(笑)
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