悪しき者の道筋を進むな。
箴言4.14ー17
邪悪な者の道を歩むな。
それには目もくれず、そこを通るな。
そこからそれて、通り過ぎよ。
彼らは悪事を働かずには床に就かず
誰かをよろめかさずには眠らない。
悪しき者のパンを食べ
暴虐の酒を飲む。
世に出ている書物は大別して、教養を深めて品格を高められる作品と実生活に生かせる知恵を含んだ作品があると思う。多くの人は、売り上げランキングで上位にある本や、人気があるとされる本を手に取る事が多いと思う。
人気があって売れている作品を基準に読む本を選ぶのは一見尤もらしく感じるが、客観的には大衆受けしているだけなので、自分に読破出来るかや自分に相応しい本かどうかである事は分からず、酒の肴に出来る程度である。
自分にとって読むべき書物かどうかの決定打は、やはり学歴である。恐ろしい事に、全ての書物には著者が暗黙のうちに設定する学歴のボーダーラインが存在しており、そのラインを越えていなければ、全く当てにならない。
書いてある事とやっている事が全く違うじゃないかと感じる事はどんな本でもあるもので伝えにくい話ではあるが、ラインを越えていない人から見て優れた書物の美辞麗句が実現されているように映る配慮をされる事は無い。
現実的には、周囲から政治的な影響を受けていない場合は、自分が自然に手に取る本が自分の適性に合った本だと考えて問題ないが、普通に生きているだけのつもりでも知らず識らずの内にどこかに取り込まれるものである。
政治的な影響によって、本来の自分の適性とは合わない書物に親しまねばならない場合は、紹介元か他の信頼出来る取引先に適切な解題を施してもらう必要があって、一人で読んで理解したつもりになっても全く活かせない。
言われてみれば当たり前の話ではあるが、更に一歩進めて宗教的な視点を導入する事も出来る。宗教的見地では、正しい読み方や伝え方は存在しないので、自分が適当に決めた勝手な理論が普通に有効で、何でも有りである。
本来であれば現実生活で役立つ事は無いが、何らかの宗教的地盤ないし所属宗教があれば、ある程度は融通が利くので割と楽しめる。更に、学力が特殊能力の一つに過ぎないとする立場では芸能的視点も考えられる所である。
芸能的視点では、実力云々というよりはただ単に人気が取れるかどうかが問題となるが、一芸に秀でている必要性は確かにある。科学を政治+宗教+芸能にプリズム分解する事で、学歴を零から再現する事も不可能ではない。