聖書再考〜とりあえず使ってみる前に確認しておきたい事〜

スピリチュアル
スポンサーリンク

ある日、神の子らが来て、主の前に立った。サタンもその中に来た。
〈中略〉
またある日、神の子らが来て、主の前に立った。サタンもまたその中に来て、主の前に立った。

ヨブ記1.6,2.1

旧約聖書が律法、歴史書、知恵文学、預言書の4つのパートに、新約聖書が福音書、言行録、手紙、黙示録のやはり4つのパートに分かれている事は既に何度か触れた事がある。旧約聖書の書数は39、新約聖書の書数は27である。因みに、旧約続編は13書である。科学的な様式で聖書を活用を試みる場合、何がどの部分に対応するのかが気になった。

元々は律法と福音書は現在(史実の形式を取ってはいるが)、歴史書と言行録は過去、預言書と黙示録は未来に焦点を当てており、知恵文学と手紙は時制不明という扱いになる。律法と歴史書の区別は曖昧なところがあって、最初の五書がモーセ五書と呼ばれ(創世記ではモーセは出て来ないが)律法として扱われており、残りの書は歴史書となっている。

個人的には、モーセ五書だけでなく続く歴史書、即ちヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記上、サムエル記下も律法に含めて、合計10書の律法を定義すれば良いと考える。これだけでも革新的だが、更に大胆にエズラ記とネヘミヤ記とエステル記は偽典として省いてしまう。続編に別形式の訳があるエズラエステルと、間のネヘミヤは不要であると。

そして、列王記上下と歴代誌上下に哀歌を含めた知恵文学を小歴史書の扱いでセットとして考える。更に小預言書のうち、後ろの半分を省けば、預言書も大小合計10書になる。具体的には、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、が残る事になる。取り除いた大歴史書と小預言書の計9冊の書物は、続編と同じ扱いで良いだろう。

次は新約について考える事にする。現在形としては、四福音書と言行録と黙示録に、著者名が被っているヨハネの手紙の3つとどう見ても裏切り者を指すユダの手紙をまとめる。ここで、数を合わせる為に旧約続編から知恵の書、マカバイ記一、マカバイ記二を引き出して、知恵の書は信徒向けの手紙に分類し、マカバイ記は支援者向けの手紙に分類する。

結局、なぜそんな分別をするのかという話になるが、科学の大分類である自然科学・社会科学・人文科学と関連付けを行いたいと考えた為で、新時制に合わせる形で結論が出た。即ち、律法・福音バリューセットが自然科学、歴史書・支援者への手紙が人文科学、預言書・信徒への手紙が社会科学という風に綺麗に分ける事で実践的に役立ちうると考える。

より細かい分類も当然あって議論に値するが、どちらかというと実際に使ってみて分かる事の方が多いので、自分の目的に合った書物がどれなのか大体分かれば問題無いだろう。理論だけ深く理解しても実際に技能として身に付かなければ意味が無いのはどの分野でも同じだが、今回は特に宗教的な方法論を科学的表現で実現する事に主眼を置いたわけだ。

↓【おすだけで めざめるあなたの エデンパワー】(笑)
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ精神世界ランキング
スピリチュアル
スポンサーリンク
ユダヤワールドプログレス