同じように、奉仕者たちも、気品があり、二枚舌を使わず、酒に溺れず、恥ずべき利益を貪らず、清い良心をもって信仰の秘義を保っている人でなければなりません。この人々も、まず審査を受け、とがめられる点がなければ、それから奉仕の務めに就かせるべきです。
テモテへの手紙一3.8ー9
最近は、自分の言葉を使うのではなく、御言葉を使って自分の考えを象徴的に表現する機会が増えてきた。自分で言うのもなんだが、幼い頃は結構、優しい性格で正義感が強かった。
意識してはいなかったが、何の自覚も無い人の普段の無意識的な言動も、全て呪術的に解釈出来る余地があるようで、私は幼い頃から知らない内に呪術的な生き方をしていたらしい。
そもそも触れる機会が無かったが、聖書の物語は何か問題が起こるとすぐに石などで打ち殺すので、とてもじゃないが身体に馴染むような内容とは言えなかったし、恐怖心があった。
成長すると共に精神が徐々に変調をきたしてきて、自分の中にある破壊衝動や支配欲が大きくなってきてそれが言動に反映されるようにもなり、全く拒絶するのも難しくなってきた。
良い変化とは言い切れないが、精神病を経験した結果、聖書の物語のような荒唐無稽で乱暴な神話小説が腑に落ちるようになり、人間の本性を映し出していると感じるようになった。
憑依現象を信じているわけではないものの、それに近い状態になって罵詈雑言が次から次へと浮かんできて表現せずにはいられなくなったが、こういった状態は悪魔的であるらしい。
御言葉を使い始めるようになってから、何をどうすればどうなるのかが徐々に開示されつつあるような気がしている。自分の身に降り掛かっていた呪いも徐々に消えつつあるようだ。