幼少期教育の学び直しは可能か

スピリチュアル
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私の魂は塵の中に伏しています。
あなたの言葉どおりに私を生かしてください。

詩編119.25

前回の話の続きだが、そもそも大人になってから乳幼児のカリキュラムをこなして身に付くのかどうかや意味があると言えるのかどうかの疑問は当然生じてくる。その点に関しては学閥統治を前提とした成績至上主義による絶対的能力統制の秩序制度を理解していれば腑に落ちなくもない。

具体的にカーン・アカデミー・キッズを題材として考える事にすると、情操教育の訓練は特に右端のLogic+の項目が該当する。実際にやってみれば分かるが、乳幼児向けに作られているだけに物心付いた子供の年齢以上の英語が母国語の人であれば楽勝でこなせる内容となっている。

情操教育の技能を身に付ける事を目指す上では、乳幼児向けの題材になると逆に自分が身に付いているのかどうか疑問に感じる部分も出てくるかもしれないが、認知的課題としては余裕なので誰でも簡単に「修了」する事が出来る。成績至上主義の観点からは修了する事が重要なのである。

このレベルの内容を学業成績ではなく社会勉強として身に付けようとしてもとても上手くいかないというか、物凄い対価と代償を支払わされた挙げ句に適当にあしらわれる形になる。なぜなら、あまりにも常識的な事項が問われる為で「そんな事が出来ないのはふざけている」からである。

インテグラル理論の発達理論を絡めてより分かりやすく整理する方向で考えてみよう。スピリチュアル的な能力もだが、情操教育の基礎は呪術的段階の到達度が問われる事になる。この段階の性質を一言で説明するのは難しいが、スピリチュアル的には「良い夢を見せる能力」ではないか。

話は逸れるが、スピリチュアル的な超能力の存在を否定しているわけではないので、もしそういう能力が科学的に有り得るとすれば発達理論の最後の方に仙術的段階というのが仮説として定義されている。実務としては呪術的段階と手品で十分だが本物の存在を否定しているわけではない。

呪術的段階の能力開発は年齢的に段階を追って人間を全人格的に作り上げていく上では乳幼児レベルの教育が担っていると考えられるわけだが、最初にも書いたが大人になってから乳幼児向けの教材をこなす事に意味があるのかという問題があって、まさに「ふざけた考え」だと言われる。

一度冷静になって乳幼児と大人の違いを考えてみる事にすると、私の拙い知識によると確か乳幼児の時期は神経細胞の新生と神経細胞ネットワークの新生が盛んな時期だとかいう脳科学の知識を聞き齧った事があって、要するに乳幼児の時期は物事の吸収が天文学的に早いという話だった。

一方で、最新の学説によると、詳しくは調べてないが大人になってからも海馬で神経細胞の新生が行われているとか、神経細胞ネットワークの新生は脳のどの部分でも必要に応じて行われているという話だった。まぁ、赤子の比ではないだろうけれども、絶対無理という程でも無さそうだ。

折角だから、私の唱える仮説である学閥統治の真実について理解してもらって、その観点から学び直しが無条件に有効である事や自分の実力を成績に落とし込む事の重要性を感得してもらいたいものだが、科学的な観点から見ても、乳幼児の時期の吸収力を部分的に維持していると言える。

一般的には、才能として世間に認識されているような資質の方が乳幼児のような幼少期のカリキュラムでこなす内容が基準になる能力であり、努力の結果であると認識されているような資質の方が年齢が上のカリキュラムでこなす内容が基準になる能力となるが、灯台下暗しのような話だ。

要点としては、現代科学的学閥統治の制度上では個人の能力はほぼ完全に流動的であり、幼少期から青年期に至る全教育課程の学業成績によって定義される事になる。と同時に、リカレント教育の開闢によってあらゆる段階のあらゆる分野の再教育即ち能力再開発の機会が与えられている。

↓【おすだけで めざめるあなたの ユダヤパワー】(笑)
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