教育達成度の差異は「天使か悪魔か」程度の差しか生まない可能性

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その後ダビデは主に尋ねた。「どこからユダの町に上って行くべきでしょうか。」主は答えた。「上って行きなさい。」ダビデは言った。「どこに上って行けばよいでしょうか。」主は答えた。「ヘブロンへ。」

サムエル記下2.1

これまでは、教育歴が高ければ無条件に高い技能を発揮できる事を前提としていたわけだが、当然ながら教育の達成度の多寡と関わらず出来る人は出来るし出来ない人は出来ない現実がそれなりにある事も否定できない。

そこでもう少し踏み込んで考えてみると、学歴が優れていれば高技能が約束されるというよりは単に役割の問題なのではないかと考えるようになった。各々に最も活躍可能な理想的な学歴に多様性があるという事である。

幼稚園から高校までの初中等教育を受けていない人は現代科学による制約が課されていない可能性がある。運良く優れた頭脳を持って生まれた場合は、無条件に教育課程を終わらせるより適当に切り上げる事も有り得る。

例えば、偶然高いIQを持って生まれてきても現代科学の学説に照らし合わせてその高い知能を持っている事が間違っている場合、正規の教育を受ける事で知能が刈り込まれる恐れがあるので、独学の方が良い事になる。

思い出したのはインド哲学の破壊神・維持神・創造神の三大神の概念だった。初中等教育で破壊を抑える事を学び、折り返し地点の人が維持神で、大学以降の高等教育クラスで創造する事を学ぶと考えれば分かりやすい。

この新しい見方はインテグラル理論の前・超の混同とも繋がる部分もあるが、前段階だから悪く超段階だから良いという話ではなく、破壊・維持・創造のいずれの役割を担っているかの差だと捉えれば矛盾を取り除ける。

つまり、現在成立している教育の過程を現代科学を手に入れた後に手放す周回型の内容として捉える事になる。不運な事に、高卒である私はちょうど現代科学の学説を完全に順守しなければならない立場にある事になる。

このような捉え方を行った場合は教育の意義がどこにあるのか完全に分からなくなりそうで悲しくなるが、一般的には高い教育歴を達成した者が大きな権限を与えられる事が多いのだし、全知と無知では幸福度が変わる。

↓【おすだけで めざめるあなたの エデンパワー】(笑)
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